| ヤマグワの木は中里の林をはじめ空掘川の遊歩道沿い、あちこちの植え込みなどに多数生えている。そして木の大きさに関係なく、冬のこの時期、クワコの空繭が多数見つかる。いくつか空繭を集めてみたのは、繭の中のクワコがどういう顛末を迎えたのか、少しだけ興味があったからだ(写真上)。 こうして並べてみると繭の大きさにもずいぶんばらつきがあることがわかる。どれも営繭(「えいけん」:繭を紡ぐ営みの意)時にそばの葉っぱを土台にして綴り寄せているので、それが枯れ葉となって繭を包んでいる。なかには風雨ですっかり枯れ葉が落ちてしまい裸になった繭もある。 さて、この繭を包む薄皮の絹糸を剥がしたのが、下の写真である(写真中)。 こうして並べたものが、繭の本体である。紡錘形をしたクワコの繭の特徴がよくわかるし、大きさの比較もほんとうはここで始めて正確に把握できる。 繭の片側がぽっかり大きく口を開け、さらに繭の表面に茶褐色の滲みが付いているものが、無事に羽化できた繭だ。ぐるりと外周に多く並べたものがそれである。 一方、赤丸でマークした中央部の4個の繭は、羽化した穴はなく、その替わり小さな丸穴が開いていたり、まったく無垢の状態であったりする。これらは寄生を受けたか、蛹の段階で死んでしまった者達だ。成虫として羽化できずに脱落したのである。 ここに集めた23個の繭のうち、4個が成虫になれず死んだわけで、実に約17%もの死亡率である。 もちろん営繭する以前に幼虫、卵の段階でも数多くの者達が命を落としているのであるから、成虫まで無事に辿り着ける幸運なクワコがいかに少ないかは言うまでもあるまい。 たくさん見つかる空繭も、まさに氷山の一角に過ぎないのであろう。
『オオタカの仕業』
今朝早く、空掘川の遊歩道でドバトの羽毛が散乱していた(写真下)。 これは今までにもよく見て来た、オオタカの食事跡ではないだろうか。 しかし、この中里近辺では珍しい出来事ではある。 所沢郊外のもっと広大な雑木林ではよく出会す光景なのだが。 オオタカにとってドバトは食べ応えがあり、もっとも手に入り易い餌なのだろう。 ドバトはあちこちで人様が餌をやって増やしており、そのドバトをオオタカが喰うのであれば、 オオタカは今や人様が間接的に飼っている、 いやそれが言い過ぎなら、食糧供給に多大の手を貸しているとぐらいは言えるだろう。 この空掘川にはカルガモや冬鳥のオナガガモ、コガモなどが多く、 毎日にように入れ替わり立ち替わり、餌を播く人が絶えない。 まあ、どこにでもある光景であり、大概は「餌をやらないで!」という看板もあったりするが、 むしろ堂々とそれを無視する勢力の方が圧倒的だ。 ペットも野生動物も味噌糞という自然観の欠落や、 食べ物をどうやって人間社会が自然界から収奪しておるのかという根本問題への 配慮の欠如、などなどこの餌やりについては語ればキリが無い。 可愛いカモさんに餌を播くことがドバトへの給餌になっていることも もちろん皆さん承知である。
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