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2007年『昆虫ある記』を振り返って(4) 2008/01/08
 今日は再び昨年の5月からもう一件の記事を選んでみた。

 5月に入ってからも草刈り作業を徹底して続けたのだが,とくに使い慣れていない草刈り機の作業ではずいぶんと筋肉痛に悩まされた。敷地内の西側にあるノリ面は一番荒れており,とりわけコウゾとメダケが繁茂して草刈り機だけではどうにもならなかった。そこでチェンソーも使ったりした。チェンソーは小型ではあってもしっかり支えての作業となるので,腕や腰にかなりの負担がくる。
 毎日汗だくで作業を繰り返すうちに西側斜面もどうにかすっきりとした草地環境を取り戻せた。筋肉痛も1ヶ月を経てようやくおさまり,しだいに体も慣れてきたころだ。

 「コガタスズメバチ女王の巣作り」(5月15〜17日)

 コガタスズメバチの女王は越冬から目覚めると,単独で巣作りをする。その孤独な作業に立ち会えたのはほんとうに幸運であったとしか言いようが無い。

 巣作りの場所を見つけたのは国道を逸れて,川沿いの細い道に入った直後だった。フロントガラス越しにチラリとオレンジ色の蜂が飛ぶ姿が目に入った。咄嗟に車を止めてその蜂の姿を目で追いかけてみれば,崖の中段上あたりにぶら下がった初期巣があった。
 発見したのは15日であったがそれから数日おきにこの場所に通うこととなった。
営巣場所の道は車の往来もきわめて少なく,通る人も近所に数軒ある農家の方ばかりのようであった。そこで出会った方々には挨拶をし,コガタスズメバチの営巣のことも詳しく説明してみた。会ってお話をできた方々の様子から,皆さんスズメバチの巣に対して寛容であることを感じ取ったことは昨年の記事のなかでも書いた通りである。

 ともかくコガタスズメバチの初期巣で内部の巣盤がしっかり露出している段階から撮影できたのは初めてのことであり,私はかなり張り切って撮影に臨んだ。この機会を逃したら次は無いと思ったからだ。それと同時にけっこう迷ったのも事実であった。というのも近所の農家の方々数人と会話を交わしただけでこの営巣場所が安全に見守られるという保証を得ることはできず,またそう考えるのは甘いと思っていたからだ。
 そこで営巣初期の段階で巣ごと女王を捕獲し,自分の敷地内に移設する計画もずいぶんと考えたのであった。しかし,営巣場所は回りの環境を写し込んでの絵柄に優れており,このロケーションの良さを捨てるのはじつに勿体ない。迷った挙げ句,やはり幸運を祈りつつ巣はそのままにして撮影を続けることにしたのであった。
 じつはこの巣場所のすぐ近くの薮のなかでも別のコガタスズメバチ女王が営巣しており,そちらはすでに巣盤も完全に閉ざされた徳利型巣まで進行していた。その段階からでも撮影しておく価値はあったけれど,うちに移設してまではと気乗りしなかった。

 しばらく通ううちに巣作りは下向きの徳利状まで進行した。こうなると巣のなかでの作業は見ることもできず,とりあえず巣からの出入りなどを撮影することにしていろいろとその準備を進めてみた。コガタスズメバチの単独女王はそれほど恐れる必要はないのであるが,それでも巣の近くで作業しているうちに威嚇してくることも多く,そういうときはやはりビビってしまう。
  ようやくカメラの設置器具やライティングが決まったところで,こんどは天候が崩れ出し,しばらくは撮影を断念するしかなかった。その中断はじつに2週間に及び,さすがに心配になってきた。

 そしてようやく雨が上がり天候も回復した日。心配していたことが現実となった。営巣場所に着いてみれば,巣の様子がおかしい。徳利状の筒が大きく欠けておりひびが入ったり穴が空いているのだった。外部から強打されたのは間違いない。もちろん女王バチの姿もなかった。
 いそいでもう一つの巣も覗いてみようとして,すぐにそちらも惨事に見舞われたことがわかった。巣場所は高い崖の上の薮の中にあったが,その崖には人が登った痕跡が残され,薮の入り口が大きく開かれていたのだ。巣は跡形も無かった。

 このようにして人家周辺や耕作地周辺のスズメバチやあるいはアシナガバチ類の生活を撮影する仕事は,多くの場合うまくいかない。スズメバチやアシナガバチは人を刺すのだから,巣を作らせない,というのが世の中の大勢だから仕方が無いと
諦めるしかないのだろうか?
 いやほんとうはそれは大きな間違いだ。自然とうまく付き合っていく術について,多くの人が希薄になってしまったのだと感じる。対峙する生き物についてちゃんと理解しようという態度があってこそ,危険を回避できるだけの距離感というものを保つことも可能なはずである。
 
新開 孝

クロシデムシ参上! 2008/01/07(その2)
 秋から年末にかけて,林の下刈りなどに精を出し過ぎていろいろと他の仕事の停滞が生じている。天気が良いとどうしても外に出て体を動かしたくなる。それがいけないのだ。わかってはいるが,シーズン前に雑木林を何とかしたいという気持ちも強い。

 来年出版予定の本や,そしてもう今年には出さなくてはならない本のことなど,室内にこもってやるべきことも多い。いやほんとうは外をうろついている暇など無いはずだが,少しは体を動かさないとやはり何をするにしても私の場合うまくはいかない。

 そこで午前中いっぱいは机に向かい,昼食後は先日かき集めておいた落ち葉などを燃やす作業をした。1時間ほどで作業を終了し再び机に向かう。で午後4時には犬の散歩で40分ほど散歩してみた。
 散歩から戻ってしばし林を眺めていると,クヌギの根元の幹にクロシデムシがいた。なんとも綺麗でカッコ良い。本種は動物の死骸に集まりその腐った肉を食べるのだが,その習性に対する人から見たイメージなどとはおよそかけ離れた美しい体をしている。

 成虫で越冬していたものが,今日のぽかぽか陽気に誘われて姿を現したようだ。
 体に触れるところりと地面にころがって擬死をする。お尻からは臭い液体を出した(写真下)。

(写真/リコーCaplio GX100+サンパックストロボPF20XD使用)
 新開 孝

2007年『昆虫ある記』を振り返って(3) 2008/01/07
 今日は2007年5月の記事から1件を選んでみた。
 5月に入って引っ越し荷物がようやく落ち着いた頃だが,細々とした部屋の片付け
は延々と続き,ほぼ完璧に新しい生活が滞りなくスタートできたな,と感じるまでには2ヶ月はたっぷりと時間を要した。

 「タイワンオオテントウダマシ」(5月3日)

 庭の片隅にクヌギの伐採木を積み上げて置いてある。このクヌギは衰弱して今にも倒れそうになっていた木だった。しかもその傾いだ方角が家に向かっており,そのまま倒れたら屋根に激突する危険性がじゅうぶんにあった。そこでチェンソーを使ってこの立ち枯れクヌギを切り倒したのであった。その作業にはたっぷり2時間も掛かったけれど。
 クヌギが枯れた理由はいろいろあると思うが,材の中にはミヤマカミキリ幼虫の穿ったトンネルが無数に貫いていた。最初はシロスジカミキリではないかと喜んでいたがそれは期待はずれであった。振り返ってみれば夏の夜,門灯に飛来するミヤマカミキリはたいへん多く,また樹液にもよく来ていた。ミヤマカミキリが産卵したのはそれ以前にクヌギが衰弱していたからであり,クヌギが枯死していった最初の原因を突き止めるのはなかなか難しいのではないかと思う。
 それはともかく,こうした朽ち木材を庭に積んでおけば,そこには各種の菌類が繁殖し,さらにその菌類や朽ちた材そのものを餌にする様々な昆虫が集まってくる。
 近所の方々は,クヌギの材があるならシイタケが穫れるよ,と事あるごとに親切に言ってくれる。しかし私にとってはどんな昆虫たちの顔ぶれを見ることができるだろうかというのが当面の楽しみであるし,それが最大の目的なのであった。
 
 さて,昨年5月3日の夕方,そのクヌギ材をいつものように眺めていたら写真のテントウダマシが這っていた。それまでに見た事がないほど大きなテントウダマシで,体長は10ミリ以上あったと思う。撮影したあと採集しておかなかったことが後で悔やまれた。写真をアップした当初はタイワンオオテントウダマシかどうか自信がなかった。それというのも本種は国内では唯一,対馬のみに産することになっていたからだ。しかし,いくどとなく図鑑と照らし合わせてみても,該当種はタイワンオオテントウダマシしか見当たらなかったのである。
 ところがその後,幾人の方から私のアップした写真はタイワンオオテントウダマシの可能性が高い,という指摘をいただいた。そして最近になってさらに知人の方から本種が対馬から移入されたシイタケ原木に紛れて,九州本土に上陸した可能性を指摘いただいた。

 ハラアカコブカミキリというシイタケ原木の害虫も,もともと対馬にしか生息していなかったが,シイタケ原木や薪材が九州各地へ移入されてから,一気に分布域を広げ今では遠く埼玉県でも採集記録が出ているという。
 つまりどうやらタイワンオオテントウダマシがうちの庭で見つかったことも,もしかしたらハラアカコブカミキリと同様に,人為的な移入種とみなすことができるのかもしれない。
新開 孝

2007年/『昆虫ある記』を振り返る(1) 2008/01/06
 今日から数回に渡って,昨年2007年度の『昆虫ある記』を月別で少し振り返ってみることにした。
 2007年1月から3月末までは東京都清瀬市で暮らしていたので,それまでの『昆虫ある記』は主に武蔵野編ということになるだろう。そこで今回振り返る時期は,宮崎県三股町に引っ越してきた4月以降としてみた。
 できるだけ今のフィールドの特徴がよくわかる内容を選んでみたつもりだが,必ずしもローカルな話題にだけ絞ったわけでもない。

 さて,今日は4月の記事から,2件。

 「ニホンホホビロコメツキモドキの顔」(4月24日)

 ニホンホホビロコメツキモドキのことを知ったのは,今から12年前に発行された『四万十の昆虫たち』(田辺秀男/杉村光俊 共著/高知新聞社)を読んでからだった。しかしそれ以後ずっと,フィールドで実際に本種を見る機会がなかった。
 『四万十の昆虫たち』の解説文では「この種のメスの頭部は,複眼の前方で左側だけが大きく広がって,左右が非対称。」と書かれており,その奇異な形態に私はとんでもなく興味を抱いたのであった。しかし,本種の分布は本州から以南とされていても温暖な太平洋側であり,どちらかといえば暖地性の昆虫。武蔵野台地周辺で簡単に出会える虫ではなかったのである。

 左右非対称という顔面をアップで是非とも撮影したいと思い,一度は田辺秀男さんに高知のフィールドを案内してもらう話もあったのだが,スケジュールが合ず実現しなかった。
 2006年2月,『四国のカミキリムシ』というホームページ上のブログでニホンホホビロコメツキモドキの写真と記事が掲載された。さっそくコメントを書き込んでみたら,ブログを書かれた大塚さんからいろいろと情報をいただくことができた。

 本種のことを知ってからこのけったいな虫に出会えるまでに,なんと時間が掛かったことだろう。
 宮崎の新居の林には山ほどメダケがはびこっている。そして今,私はそのニホンホホビロコメツキモドキ大発生地の中に住んでいるのである。

 ※2件目は下に進んで下さい。
 

新開 孝

2007年/『昆虫ある記』を振り返る(2) 2008/01/06
 「庭に飛来したミカドアゲハ」(4月28日)

 私の実家のある四国,愛媛県にもミカドアゲハは生息しているが,その分布はかなり南の地方に偏っている。昔2回程,県南部の御荘町に通い成虫を撮影したり,越冬蛹を見つけた経験はあるが,愛媛ではやはりミカドアゲハは希少種である。

 もっとも屋久島や八重山諸島への遠征でミカドアゲハを撮影したり観察する機会もあったのであるが,それが意外と時期のタイミングが悪く,満足な写真はほとんど撮れていなかった。

 宮崎に来ればミカドアゲハは普通種だろうという期待は高く,さて実際にうちの庭のシロツメクサの花に飛来したときは,ほんとうに嬉しかった。
 ミカドアゲハの幼虫の食樹であるオガタマノキは,さっそく植木市で買い求め庭に植えてみたが,近所を散策するうちに公民館の生け垣や人家の庭などに,ポツンポツンと植栽されていることもわかってきた。

 昨年はその近所のオガタマノキを頻繁に見てはいたのだが,ついに卵や幼虫などを見つけることができなかった。しかしまあ,ミカドアゲハに関してはそのうち良いチャンスも訪れるだろう。あの可愛らしい幼虫の眼玉模様をまた見てみたいものだ。

新開 孝

アブラナの花と虫 2008/01/05(その2)
 昨年暮れ頃から庭の畑でアブラナが花を咲かせ始めている。

 昨日,今日と朝の冷え込みで庭の地面は真っ白だ。その白さは窓から眺めてみると一瞬,雪が降ったのかと錯覚するほどだ。

 霜に覆われているアブラナも(写真上),正午近くになって日射しを浴びるころには,たくさんの昆虫たちを招いている。
 
 一番多いのはハナアブ(写真下)やハエ類で,ヒメハナバチ類の姿もあった。

 南九州といっても冬は寒いが,このような光景を眺めていると春の訪れは意外に早いのだろうと感じる。今年の仕事のスケジュールを考えてみると,まだ冬だからとのんびりしているわけにもいかない。

(写真/リコーCaplio GX100) 新開 孝

縁側で佇むトラツグミ 2008/01/05
 今朝も厳しい冷え込みだった。外は氷点下まで気温が下がったようで,あちこちに氷が張っていた。

 庭に出て霜の降りたアブラナ畑を撮影してみた。時間にして数分程度だろう。
 手がかじかんで我慢できなくなったので玄関に向かって足早に駆けていこうとしたその瞬間だった。
 
 縁側に一羽の鳥の姿がチラリと見えた。なんとそれはトラツグミだ!

 私はそれまでずっとトラツグミに背を向けたまま撮影していたことになる。一方でトラツグミはじっと私の所業を眺めていたことになる。私とトラツグミとの距離は最短で2メートル程度のときもあったはずだ。

 このとき手にしていたカメラはCaplio GX100だったのでとりあえず望遠端で撮影してみたが,さすがにそのときの距離は3メートル以上あったので,トラツグミの姿は豆粒にしか写らない。じわじわと距離を詰めようとしてみたところで,カメラのバッテリー切れ警告表示が出た。これはむしろ幸いしたのかもしれない。
 大急ぎで一眼レフデジカメを取りに戻って撮影したのが写真上。
 レンズは400ミリ相当でシャッター速度は1/125だから,これはブレて失敗したと思い,ISO感度を800に上げようとしたところでトラツグミは飛び去ってしまった。
 しかし,写真を見ていただければわかる通り,E-3のボディ内手ぶれ防止機能が働いて問題なく撮影できていた。

 さて早くから私の存在に気付き,なおかつ私がカメラを構えて近づいたにも関わらず,何故にトラツグミはしばらくの間じっと佇んでいたのであろうか?

 トラツグミは林床を移動しながら落ち葉をめくったり掘ったりして,その下に潜んでいる小動物や昆虫を餌として食べる。そのときの彼らの体の色紋様は,落ち葉の枯れ葉色に見事に溶け込み隠蔽効果はたいへん高い。そのことをトラツグミはよく心得ているのか,人が近づいていることに気付いてもすぐには逃げようとせず,まさにフリーズ状態を続けることがよく観察される。危険に遭遇したときのこういう行動はノウサギなどでもよく知られており,足下からいきなり飛び出してきてびっくりした経験が私にもある。

 しかし,トラツグミがじっとしばらく佇んでいた場所はわが家の縁側であり,いかにトラツグミの迷彩色と言えど,目立ってしまう。
 じつはトラツグミのいた場所をよく見れば,そこには羽毛が散乱していた(写真中)。その散らばり具合はアルミサッシの引き戸に近いところに偏っていたから,もしかしたらこのトラツグミはうちのガラス戸に突進してぶつかったのではないだろうかとも思われた。

 都会のビルのガラス窓にトラツグミが激突して死んだという例があって以前,唐沢孝一さんが何かの著書で書かれていた記憶がある。どうやらこういう事故原因は,薄暗い建物の中をトラツグミが森の暗がりと見誤った結果だろうと言われている。

 写真のトラツグミの脚を拡大トリミングして見ると,右脚の様子が変だ(写真下)。関係ないかもしれないが,ガラス戸に激突したショックが残っていたのではないだろうか?


 (写真上,下/E-3  50-200ミリズーム)
 (写真中/リコーCaplio GX100)
 新開 孝

メジロの食事 2008/01/04(その2)
 メジロはやたらとその数が多く,うちの林にやって来たことも,たいへんにぎやかなさえずりでそれと気付くほどだ(写真上)。その数,少なくて6羽,多くて10羽前後だろうか。ときに数羽のエナガやシジュウカラなども伴って混群となっいることもある。

 そのメジロたちの動きを眺めていると,その多くがコナラやクヌギの梢でしきりと餌をついばんでいく。餌とはおそらくクモや小さな昆虫などであろうが,早業で飲み込んでしまうから餌の正体を目撃するのはほぼ不可能に近い。
 
 コナラの枝先に残った枯れ葉などは彼らの魅力的なターゲットのようで,しつこくその中を突いて探って行く(写真中/下)。

 またメジロはとくに樹液を好み,今もさかんに出ているコナラの樹液にはときどきやってくる。

(写真/E-3  50-200ミリズーム)
 新開 孝

霧島山 2008/01/04(その1)
 今朝は一週間ぶりに霧島山を眺めてみた(写真上)。早朝の外気温は氷点下にまで冷え込んだようだ。

 東京で暮らしていたころからこれまで,うちでは室内の暖房をあまり積極的にしたことがなく,極力暖房エネルギーを使わないのが習慣となってきた。
 今の南九州という環境にあっても,やはり真冬の朝晩はかなり寒いのだが,それでも室内を過剰なまでガンガン暖めるというやり方はしない。少々寒いくらいがちょうど良いのではないかと思うからだ。
 寒さを若干,和らげる程度の暖房にはオイルヒーターを寝室限定で使っており,これも朝晩にタイマーで可動させるだけ。

 冬の暖房についてはいろいろ考えるところもあるけれど,家屋の構造なども見直してみなければならないようだ。

 さて,年末から年始にかけての寒波の影響で,霧島山にも積雪があったようだ。画面右の雪を冠ったところが霧島山最高峰の韓国岳。画面左の見かけ上高く見える尖った山容の高千穂岳は,韓国岳よりか130メートルほど低い。よく見れば高千穂岳にもわずかに積雪があって,もしかしたら数日前にはもっと雪があったのかもしれない。

(写真/E-3  50-200ミリズーム)新開 孝

正月帰省を終えて 2008/01/03
 昨年の29日から本日まで,四国は愛媛県の実家に帰省していた。

 大分県の臼杵港から八幡浜へと渡り,西予市の明浜町に31日の午前中まで,そして松山市には今日まで滞在していた。

 東京にいたころはもっとゆったりした日程で帰省していたが,飼い犬を預けていることもあって,早々とうちに戻って来た。

 (写真上/12月29日)
 明浜町の漁港に出てみると道路の拡張のため,湾の一部を埋め立てる作業が始まっていた。写真奥のオレンジ色のブイに囲まれたあたりが工事区域のようだ。
 宇和海に面した南予地方の海岸はたいへん複雑に入り組んでおり,しかも山が海のそばまで迫っているところがほとんどだから,海岸沿いの道路はくねくね曲がり,どこも狭い。そのため海を埋め立てたりトンネルを掘って道を真っすぐにしたり拡幅する工事はあちこちで進められている。しかし昔の海岸線の風景がどんどん失われていくのも寂しい気がする。

 (写真中/12月31日)
 西予市周辺では朝からみぞれが落ち始め,やがて小雪が舞い始めた。
 松山への移動日,しだいに雪が本格的になってきて心配したが,なんとか中予へと逃げ切ったという感じがした。数時間後には積雪で高速道や主要道各所が通行止めになっていた。

 (写真下/1月2日)
 松山市の実家すぐそばの風景。
 ドミノ倒しのごとくずらりと並んだ巨大な橋脚。それはいかにも異様な存在だ。
 高速道路は便利なことこの上無いが,一方で景観を破壊し,周辺住民に騒音をまき散らす。
 かつて高校と大学生のころ住んでいた実家の周辺環境は写真のごとく激変し,こまかな自然環境ももちろん貧弱の一途を辿ってきた。想い出そうとしても川辺にシダレヤナギやウンリュウヤナギが並んでいた光景が,もう今では頭のなかで描くことができない。

 (写真はすべてリコーCaplio GX100)


 
新開 孝

お正月休み 2007/12/28
 今日は飼い犬のチョロを親戚のうちに預けに行った。しばらく郷里に帰省している間チョロはそこでご厄介になる。
 最初は犬も一緒に連れ帰るつもりだったが,私の車が小型車でもありその計画は断念した。片道8時間程度のドライブと船旅であるから犬には可愛そうでもある。

 昆虫写真家に休日というものは通常あり得ない。が,しかし休息日はやはり必要でもある。さらに私には家族もあるのできれば正月休みくらいは家族で過ごしたいとも思う。

 嫁さんの実家は私と同じ愛媛県だから帰省に際してはそれほど問題はない。私の実家の松山と嫁さんの実家の近くまでは高速道路も通じてしまったからその移動時間は1時間半ほどである。

 そて今夜はちょっと山間部の温泉にまで家族で出掛けてみた。
 ところがうちを出てすぐに路上で白馬に出会ってしまった。これにはびっくり。

 すらっとしたカッコいい白馬を引いていたのはすぐ近所のYさんとそのお子さんだった。
 乗馬用の馬ということだったが,ちょうど散歩中だったようだ。

 そんなのどかな光景がうちの回りには溢れている。

 
 新開 孝

林の手入れも今年は今日が最後 2007/12/27(その2)
 何かと忙しい年末だが,よく考えてみれば何が忙しいのか根拠がないようにも感じる。年賀状だって,なにも郵便局の締め切りに間に合わせる必要性もない。どうもなんだかおかしい気がする。

 さて,今朝も林の手入れ作業だ。先日,敷地の西側にあたる斜面林を整理していたらうちのクヌギの伐採木が隣地へと境界線を超えて倒れていることに気付いた。

 このクヌギはかなり朽ちており,いろいろな昆虫が潜り込んでいそうであった。いづれにしてもこのまま朽ち木を放置しておくわけにはいかない。
 今日はチェンソーを使ってこの倒木を裁断して,観察し易い場所へと移動してみた(写真上)。

 昆虫を観察する場合,手つかずの自然よりかある程度人の手の入った環境のほうがやり易いのであり,このへんのことは世間一般には意外と知られていないのかもしれない。そこそこに人が整備し綺麗に整えるという行為は,必ずしも自然に反する行為とも言い切れない。そこではむしろ様々な生き物にとっては快適な環境が維持されているのである。

 このところ下刈り作業の方向性を少し変えてみている。というのも,ササ刈りをどんどん進めてみるが,笹薮には膨大な枯れササが多く,しかもそれらが縦横に倒れて絡んでおり作業はいっそう困難を極める。したがってまずは,この立ち枯れたササを一本一本抜き取り,それを少しづつ焼却する作業を先行することにしたのである(写真下)。
 この枯れ笹を集めれば一冬といわず冬期の暖房エネルギーとして有効に使えそうである。だから薪ストーブはぜひ欲しいところだ。

 今日はしかし,午後3時過ぎころから小雨が降り出した。

(写真/リコー CAPLIO GX100)


新開 孝

モンシロチョウは今日も元気!! 2007/12/27
 ここ数日は暖かい日が続いている。
 そのせいかモンキチョウやモンシロチョウの飛ぶ姿もよく見かける。

 今朝は犬の散歩の途中,小さな畑のキャベツを覗いてみた。すると懐かしい風景に出会った(写真上)。

 キャベツが虫喰いだらけになるということは,ここでは無農薬であることは疑いない。このキャベツはちょっと水洗いするだけで生野菜として安心して食べられるはずだ。
 モンシロチョウは青虫とも呼ばれているが,よく見ると実に旨そうに葉を食べている(写真下)。

 宮崎に来てから感じることの一つには野菜がどれも美味しいということだ。もちろん市販されている野菜が全てこのように無農薬で栽培されているわけではないが,土や水やその他いろいろな条件が重なり合って,野菜が旨いのだと思う。

 ここの畑の持主の方は私もよく知っている方であり,ちょっと気の毒でもあったが,しかしこれでキャベツの収穫ができないわけではない。
 モンシロチョウ幼虫のもっとも好む部位はどちらかと言えば中間の青い葉っぱのようで,玉の部分は仕方なく喰っているようだ。早めに玉の部分を収穫して外側の葉は残しておけば,あとは青虫達が処分してくれるはずだ。

(写真上/E-3  魚眼8ミリ)
(写真下/E-3  35ミリマクロ+1.4倍テレコン)

 

 
 新開 孝

森はどうあるべきか 2007/12/26
 森と林はどう違うのか,およそ感覚的にはわかる気がするが厳密な定義はどこかで読んだ気がするし,広辞苑を開けばすぐわかることだろう。

 とりあえず,林は森よりか規模において小さい,くらいに理解しておけばいいかもしれない。

 さて,うちの林も笹薮でびっしりと埋め尽くされ,林内を歩くことさえ困難であった。しかし冬に入ってから日々の下刈り作業の結果,かなり明るい林へと姿を替えつつある(写真上)。

 明るくなった林の地面にはこれから先,どんな植物が姿を現すだろうか?
 たいへん興味深いし,そしてそれに関連してどんな昆虫達がやってくるだろうか?

 近所の杉植林を見てみると,どこもほとんどが手入れされることなく放置された状態になっている(写真,下)。

 その植林の中は歩くことさえ困難なほど荒れ果てており,その様子を見るたびに残念で仕方が無い。本来なら植林と言えどきちんと手入れしておれば,それなりに美しいと感じ得る林の姿があるはずだと思う。

 私が今せっせと手入れしている林を,いづれは「美しい林」にしたいと願っている。美しい林という感覚はいかにも簡単で,ほんとうは誰でも納得できる風景だと思う。どういうのか詳しく説明しろ!と言われても難しいけれど,日本の文化と深く結びついた風景である。

 何年も前に一度読んだ本で『森にかよう道』(内山 節/著)を今,再び読み返しているところだ。森とは何なのか?自然と人の関係とはどうなのか?そんなことをじっくり考えることのできる本である。


(写真/リコー CAPLIO GX100 )

 『三股町での初講演とは』

 今日は三股町にある「視覚障害者の会」の方達から,講演の依頼が正式にあった。

 これまでの講演といえば写真を披露しながらお話をするという形式ばかりで,いわゆる紙芝居的なことをやってきたのだが,今度は違う。 
 私はお話だけの講演はこれが初めての経験なので,最初は躊躇したけれど,それも面白い,やってみたいと思い直したのであった。

 しかし普通の講演とはちょっと趣向を替えて,それなりに工夫もしようと考えている。その内容はまた来年,講演を終えてから紹介してみたいと思う。

 
 新開 孝
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