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2003年:7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月

ノコギリカミキリのメス 2003/08/07
私の住むマンションは清瀬市にある。すぐ横を空掘川が流れ、この川は少し下流で柳瀬川に合流している。空掘川の水源は地図で見ると狭山湖の南西部あたりのようだ。つまり武蔵村山市に発し、東大和市、東村山市と3市を抜けて清瀬市へと入り、柳瀬川と合流するあたりがちょうど埼玉の所沢市とわが清瀬市の境となって終わる。この空掘川は川沿いに遊歩道が設けられ、様々な植え込みがある。さらに流域に沿ってかつての武蔵野の雑木林が畑や人家の合間に点在している(写真上)。都会に比べればかなり自然度が高いと言えるだろう。私の日頃の昆虫観察は、主にこうした空掘川沿いの一帯を徘徊していると思ってもらっていい。遠くとも自転車で動ける範囲である。さて、今朝になってマンション裏手の駐車場へ歩いていると、ムクノキの幹でノコギリカミキリのメスが頭を上にして止まっていた(午前8時すぎ)。しかもお尻を高く上げてのポーズ。お尻からは産卵管が長く伸び出している(写真下)。これは性フェロモン放出行動であろうと思われる。コ−リングともいう。かつて拙著『里山 昆虫ガイドブック』にも写真を載せた、それとまったく同じシーンだ。本の写真を撮影した場所は、今のマンションからすぐそばの雑木林であったから、まさにタイムスリップしたような気分になった。このあとどうなるのだろうか?新開 孝

ノコギリカミキリのメス、再び 2003/08/08
台風接近に伴い前線の活動が活発となり、昨夜から雨が強く降った。空掘川はたちまち濁流であふれんばかりだ(写真上)。日中、一旦雨脚は弱まったものの風が強く吹き始めた。夕べ、ノコギリカミキリを見に行くと、ムクノキの風下側に避難して、コ−リングは休止していた。今日は雨がおさまったせいか、またもやコ−リングしている(写真下)。今日中には台風が通過するようだが、ノコギリカミキリの様子が気に掛かる。新開 孝

ノコギリカミキリ、コーリング休止 2003/08/09
台風一過、午後6時半ころマンションの北東方向の空に虹がかかった(写真上)。やがて日没近くなって空が赤く染まった。ムクノキの幹を覗き込んでみると、さすがにコ−リングは止めていたが、まだメスがじっと留まっている(写真中)。昨夜は激しい南の風が吹き荒れた。その渦中でメスは一旦ムクノキの根元近くのうろに避難しているのを確認している。そして、現場を離れてマンションに戻ろうとしたそのとき、ムクノキの高い梢あたりを吹き飛ばされるようにして舞うノコギリカミキリを一瞬だが目にした。私は直感的にオスだと思った。その直感を支持するかのように翌朝、つまり今朝なのだが私の部屋の前廊下にノコギリカミキリのオスが落っこちていたのである。おそらく強風と廊下の灯りのせいだろう。他にもキボシカミキリが避難するかのようにコンクリート壁にへばりついていた。さて、明日はどうなることやらと部屋に帰ろうとしていたら、ムクノキの幹をアブラゼミ幼虫が台風が去るのを待ちかねたように登っていく姿があった(写真下)。新開 孝

ノコギリカミキリへの介入 2003/08/10
台風一過で、今朝は日射しも強い。マンション裏の草地ではモンシロチョウが多数、日光浴している(写真上)。かのノコギリカミキリのメスはというと、またしてもコ−リング再開である(写真下)。なかなかオスの到来がないようである。私は昨日、拾い上げて部屋に持ち帰っていたノコギリカミキリのオスの処遇を考えていた。顔の仔細など超接写撮影するつもりでいたのだが、ふと気が変った。今日までの継続観察に水をさすようなことになるが、オスをメスのそばに持っていくことにした。もしコ−リング行動というならば、メスがこのオスを受け入れる可能性もあるのではないか?それを確かめたくなったのだ。事の成りゆきに進展がないまま、やがてメスが姿を消すような気もした。日が暮れる頃、ケースに納めたオスを携え、ムクノキへ再び戻る。メスは相変わらずコ−リングを続行中。私はメスから20Bほどのところへオスを放してみた。触角を激しく振りながらオスの反応は瞬時であった。すぐさまメスに駆け寄り、マウントしようと懸命になった。ところがメスの反応は期待とは違い、ただただ逃げる一方。うーっむ!オスは見事にふられたようだ。やがてメス、オスとも両者の姿は視界から闇の中へと消えてしまったのである。新開 孝

みちのくのホヤ 2003/08/13
昨夜は淳久堂でのトークショーの後、打ち上げで少々飲み過ぎた。しかも今朝の仙台ゆき新幹線はお盆とあってどの便も満席。大宮から仙台手前の白石蔵王まで通路に立ったまま私は二日酔いにあえいでいた。福島あたりで、近くにいた家族連れのお母さんがぐずる子供にキレて「なにやってんだよ!このバカタレがあっー!」と物凄い怒声を放ち、回りがのけぞる。私も思わず身がシャキッ!仙台駅でレンタカーを借り、今回もN氏に案内を乞うことに。まずは樹液巡り。ヤナギの樹液ではオオヒカゲ、ジャノメチョウ、サトキマダラ、ヒメジャノメと蛇の目づくし(写真上)。このWEB写真ではほとんどわからないが樹液の左端には、トゲカメムシが来ている。カメムシが樹液にくるというのは初めて見るので驚いた。開けた草地のちょっとした水溜りではアオイトトンボが多数見つかる(写真中)。東京を発つのが遅かったのであまり時間がなかったが、晴天に恵まれ出だしは良い感じだ。車に戻ろうとして体長50Bほどのマムシが道を横切るところに出会う(写真下)。先ほども草むらで別のマムシらしき影の動きを見ている。「おお、いいなあ!」としきりに私は感心する。とぐろ巻いているところ撮影したいと思うが、これは昆虫とは違うアンテナを立てなければ実現できないようだ。夜勤があるというN氏と別れたあとホテルにチェックイン。夜はホヤ刺しで一杯を楽しみにしていたが、まだ二日酔いは解消せず胃が重たい。軽く缶ビールで、締めは吉野屋の牛丼!であった。どこが「みちのく」やねんっ!?新開 孝

雨のみちのく 2003/08/14
朝、ホテルの窓から外を眺めるとかなりの雨だ。今回の目的は撮影より昆虫の捕獲に重点を置いているのだが、雨はいいとしても気温がやけに低いのは困る。これでは昆虫が活動してくれない。探すのも苦労する。N氏は北の方ではまだ雨が降ってないからそちらへ行きましょう、という提案をしてくれた。いずれにしても私にとって未踏の地であるからロケハンだけになってもいい。それで小野田町の薬來山(やくらいさん)方面へ車を走らせた。が、やがて当地でも小雨がぱらつくようになった。みちのくまで携えているアケビコノハ幼虫の餌を探す。ケースの中は糞だらけだ。森のなかにアケビを見つけ葉と糞を交換した。結局めぼしい昆虫も見つからず、雰囲気だけは良さそうだと確認して仙台へ引き返す。今日もN氏は夜勤。疲れているところを申し訳ないことした。夜になって雨はいっそう激しくなる。以前、N氏に教えてもらった国分町の居酒屋に行く。大きなメバルの塩焼きをつつきながら日本酒をあおる。これ二人前でしょう!あまりに大きいのでホヤ刺しまで喰えなくなった。胃もまだ不調であるようだ。

写真上:ハンノキ林と池
写真下:ヨツスジハナカミキリ
新開 孝

オキナワツノトンボ幼虫 2003/08/15
石垣島の森のどこかで私の襟首に落ちてきた幼虫。実は当初、オキナワツノトンボの幼虫だとはまったく思っていなかった。私はてっきり徘徊性ウスバカゲロウ類の一種だろうと思い込んでいたのである。幼虫の姿態は『沖縄昆虫野外図鑑』第3巻に載っているオキナワツノトンボ幼虫の写真とは別物のようであったからだ。
とにかくこの幼虫、樹上から落ちて来たことは間違い無いと考えられ、飼育するにあたって小枝をケースに入れてみた。するとしばらくして7/28に載せた写真のごとく枝又に見事に落ち着いたのである。私の推測は正しかったようだ。生きた芋虫などをケースに入れておくと、いつのまにか吸血し(写真上)、お腹がパンパンになる。つまり幼虫は枝の一部と化し、獲物を待ち伏せするという習性なのである。
ところで私は、石垣島、星野の集落はずれで見つけたオキナワツノトンボ成虫のメスも持ち帰っていた。お腹がはちきれんばかりになっていたこのメスがやがて産卵し、孵化したのである。その幼虫たち(写真中)が脱皮し、2令幼虫となったときの姿がまさに「襟首についた幼虫」そっくりであった!つまりこの時点で、ようやくオキナワツノトンボ幼虫であったことを認識できたのである。私が徘徊性ウスバカゲロウ類の幼虫でないかと思い込んだことには、もう一つ理由がある。それは前年の1月、狭山丘陵で徘徊性ウスバカゲロウの幼虫を見つけ撮影していたからである(写真下)。そもそも徘徊性のウスバカゲロウ幼虫(つまりすり鉢状の巣穴を作らないタイプ)というのは簡単に見つかるものではない。私は以前に偶然、砂地で一匹の幼虫を捕まえたことがあるくらいだ。探して見つけだすことが容易なのは、石垣や岩盤上の地位類に潜むことがわかっているコマダラウスバカゲロウ幼虫くらいではないだろうか。それがである。私が狭山丘陵で見つけた幼虫は、なんとケヤキの幹にへばりついていた!見つけてくれ!と言わんばかりである。何故そのような場所にへばりついていたのか?これまた大きな謎である。とにかく私はその幼虫の正体を突き止めるために飼育してみたのだが、残念ながら幼虫は餌をとることなくやがて死んでしまった。日本にいるウスバカゲロウ全17種のうち、幼虫が徘徊性であると判明しているものが6種。巣穴を作るタイプが4種であるから、残る7種についてはどうやらこれらも徘徊性幼虫ではないかと考えられている。
さて、石垣島で偶然にも捕らえたオキナワツノトンボ幼虫。生き餌を与えて飼育するうちに脱皮し、3令幼虫となった。おそらくこれが終令であろう。まったく動くことなく同じ枝又に同化しきっている。私が適度に餌を与えているからでもあろう。現地であれば羽化するのは来年の5月以降である。この先どうなるのであろうか?
新開 孝

ヨコヅナサシガメとクマゼミ 2003/08/18
愛媛県、松山市の実家に着いたのが午前10時過ぎ。さっそくすぐ近所のエノキを見に行く。ここは数本のエノキ、センダン、イヌビワ、ソメイヨシノ、ムクノキ、クロガネモチなどが植わった狭い三角形をした土地で近くの神社の所有地である。特にエノキには毎年、ヨコヅナサシガメのメスが産卵に来る。今は時期的にちょうどいいはずだが、実のところ私は産卵場面をまだ見たことがない。ここでの産卵場所はちょっと変っている。通常、エノキならば北側の幹にある窪みなどを選んで産卵する。この条件は他の樹木でもだいたい似通っている。私が過去に調べた範囲では、樹種を問わずちょうど目の高さくらいから上下したあたりの幹に、北側のうろとか大きな窪み、皺とかあれば絶好の産卵場になることがわかった。産卵場所はそのまま幼虫集団の夜間の待避所であったり、やがて冬越し場所にもなることが多く、この北側、窪みという条件はとても重要なのである。ところがここのエノキでは、木のすぐ横に神社の石碑が2本建っている。わずかだがエノキの枝の一部は石碑に常に接しているのだ。石碑には文字が刻み込まれており、その溝が産卵場所となっているのである(写真上)。写真では古い5個の卵塊殻が並んでいるのがわかる。これらは去年から以前に産みつけられたものだ。ヨコヅナサシガメのメスにとって、産卵場所の条件というのは、どうやら物理的なものでおおよそ決まると推測できる。石の刻字の溝も木の窪みと同じような条件を備えているのであろう。そういえば、この刻字では数年前にゴマダラチョウの越冬幼虫も見つかっている!秋が深まり、エノキ樹上から地面の落ち葉に降りて行く途中で、ちょうど居心地良さそうな溝に落ち着いたということであろう。さてしかし、今日はヨコヅナサシガメ成虫の姿を見かけない。真新しい卵塊もまだ無い。そこでエノキに登ってみた。ヨコヅナサシガメのメスを探すためだが、そのときふいに目の前にクマゼミを見つけた。至近距離ではすぐ飛び去るはずが逃げない。よく見ると枯れ枝に産卵中のメスであった(写真下)。新開 孝

面河村のハリサシガメ 2003/08/19
オミナエシが咲く気持ちの良い草地に着いた(写真上)。松山に来てからこちらは夏らしい天気で、東京のどんより曇り空の日々が嘘のようだ。ここは私の実家から車で1時間半ほどの面河村。草地といっても山あいのわずかな面積で背丈の低い草が生え、所々地面がむき出しになっている。実はこの草地、日当たりの良さ、草の生え具合、農薬の有無、など諸々の条件において、ハリサシガメの絶好の棲息場所であるのだ。今日、ここへ案内してくれたのは松山市在住のT氏。氏は熱心な昆虫研究家であり写真家なのだ。私は松山に帰るたびいつも御世話になっている。ハリサシガメはどういった場所に棲息するのか検討もつかず、一度は見てみたいと思いつつ偶然でも出会うことがなかったが、ついに長年の念願が叶った。この時期は羽化ピークの終わり頃であり、見つかった成虫はどれも新鮮な個体である。いずれもほとんど地面でじっとしているが、一旦歩き始めると意外にすばやい。通常は獲物のアリを待ち伏せしている(写真中)。さらに面白いのが幼虫だ。彼らも成虫と同じくアリなどを襲って吸血するのだが、その亡きがらをいくつも戦利品のごとく自分の体に背負っている。どうやら体の表面には粘着質があって砂なども一緒にくっついている。この二重の隠ぺい工作のおかげで、幼虫の姿を見つけるのはかなり難しい(写真下)。T氏は今後もこのカメムシの生活史を掘り下げて調べていくそうだ。私は東京に戻ったらめぼしい環境を選んで探してみようかと思うが、面河村の標高を考えると近場ではなく、少し山地に入ったほうがいいのかもしれない。新開 孝

宇和島の『大介』うどん 2003/08/22
東京でもつい最近、セルフの讃岐うどん店が出現したが、なんといっても本場は四国である。そして私が四国で仕事をする際、よく立ち寄るのが愛媛県南予を中心にチェーン店がある『大介』うどんである。撮影の仕事でフィールドを巡るにしても、私は食については少しはこだわる方だ。仕事の段取りの中で、昼飯をどうするかは重要なポイントになる。コンビニのおむすびで済ませることがないわけでもないが、常々それは避けたいと願っている。それくらいなら自宅や宿で、手製おむすびなり弁当箱にめしを詰めたほうがはるかにいい(めしには「塩っぺ」を乗せる)。しかし外食に頼る場合、できれば500円以内で納得のいく食事をとりたい。そんなとき『大介』うどん!である。さて、今日は愛媛県宇和島市の薬師渓谷を訪れてみた。ここは国道56号線から谷間を少し山あいに入ったところだ。渓谷には数段の滝があり涼しいため、夏の間流しそうめんの店が開かれる。しかし昼食はこのそうめん屋ではない。国道を少し南下したところにある『大介』うどんで決まりだ!。外食産業から道路事情までめまぐるしく変貌するニッポンである。宇和島とて例外であり得ない。このあたりを訪れるのも数年ぶりだから、いざ知っているつもりがどうも様子が違う。事前に国道を走りながら至近距離の『大介』うどんの店鋪はきちんと確認しておいたのだ。話が脱線したが、ここで必ず見ることができるチョウがアオバセセリとスミナガシの幼虫である。そしてクロコノマチョウとイシガケチョウも。とくに前2種はヤマビワの木に必ずついている。スミナガシの越冬蛹を初めて見つけたのもここであった。幼生期の写真はタイミングさえはずさなければ容易である。しかしチョウの成虫となるとこれは狩猟の範疇に近い難しさがある。目の前を飛んでいても極めてシャッターチャンスが少ないので、普通種といえど納得いくカットを揃えようとすると侮れない。今日は特にナガサキアゲハの大きなメスがクサギの花に来ており、一旦去ってもしばらく待っていると谷間を大きく回遊しては同じ木に戻ってくることがわかった。優雅な動きのわりに意外とシャッターが切れない。ここはじっくり構えることにした。

写真上:ムラサキシジミのメス、アラカシの新芽に産卵していたが休憩中
写真中:アオバセセリ幼虫、ここではヤマビワが食樹
写真下:クサギで吸蜜するナガサキアゲハのメス
新開 孝

法花津峠のチッチゼミ 2003/08/23
じつを言うと私はまだチッチゼミを見たことがない。鳴き声はさんざん聞いているのに今までに姿を見る機会はゼロである。図鑑を開いても「小枝の上側で鳴いていて、姿がみえにくい。」と書かれているので、あながち私の努力が足りないだけではなさそうだ。「チッ、チッ、チッ、チッ、、、、」という時計の秒針が刻むような音色は、猛暑のなかでものどかな気分にさせてくれる、と私は感じる。愛媛県宇和島市の薬師谷渓谷で午前中撮影したあと56号線を北上し「法花津峠(ほけづ)」へ回ってみた。昼食は途中にあったラーメンの「豚太郎(とんたろう)」に寄る。ここも広くチェ−ン店を展開しており、本店は高知県にあるようだ。味はそこそこ。正油ラーメンが450円。東京ではあまり見かけない細長いモヤシがたっぷり入っているのが嬉しい。セルフのおでんもある。が、しかし今日入った店はどうしたことか、出汁が今一つよろしくない!どこの店でも無難な味という保険が失効中!のようだ。で、法花津峠。ここは宇和海から遠く九州まで見渡せる展望良好な場所(写真上)。展望台から先には手摺などなく絶壁にちかい急斜面となっている。そこには背の低いウバメガシがアカマツとともに岩にへばりつくように繁茂している。そして足下からチッチゼミのあの鳴き声が聞こえてくるではないか。つまりチッチゼミは私の目線よりずっと低い位置に潜んでいるのだ。これは姿を見る、いや撮影できるチャンスではないだろうか!私は頭を左右、斜めとねじっては鳴き声の出所を正確に突き止めようとした。しかし、アカマツもウバメガシもその近くへ寄るにはかなり急勾配を下る必要があり、ロープで確保しないと危険極まりない。悔しいがあきらめるしかない。チッチゼミ撮影にロープを準備!これは教訓として頭に刻んでおかねばならない。山道をゆっくり国道へと降りていると、ミカン畑ではスプリンクラーがゆったり散水している(写真下)。そこから聞こえてくる音が「チッ、チッ、チッ、チッ、、、、」。
新開 孝

明浜町、俵津 2003/08/24
真珠筏が浮かぶ穏やかな湾、そして背面にはミカン畑と照葉樹林の山にはさまれた小さな集落が俵津。
湾から外は対岸の大分県を望む宇和海となる。地図を広げ宇和海に面した愛媛側の海岸辺りを、北の佐田岬からずっと南下して高知県の宿毛市まで眺めてみると、地名には「浦」「浜」「崎」「鼻」といった文字がつくものが圧倒的に多い。特に「崎」「鼻」といった突端を表わす文字のつく地名が多いことは、海岸地形をよく物語っている。俵津のように「津」がつく地名は意外に少なく「法花津」「坂下津」「島津」「狩津」「米津」くらいしか見当たらない。また佐田岬の「串」、明浜町の「宮之串」という地名が目を引くが、これは朝鮮語の岬を指す串(こす)に由来する語だそうだ(谷川健一『日本の地名』岩波新書より)。さて、俵津の集落をパワーショットG5片手にぶらぶらしてみた。狭い路地をあてもなく歩くと庭木の花や植え込みに、昆虫の姿を見ることができる。ここに写っているオオスカシバ(写真上、ランタナで吸蜜)、モンキアゲハ(写真下、ノウゼンカズラで吸蜜)は東京でも見ることができる昆虫だが、やはりここ明浜町、俵津の南予らしい雰囲気の中で見るとなんだか違った昆虫に会ったかのような気分になる。相変わらず猛暑続きだがモンキアゲハの姿はさすがに多い。ナガサキアゲハは1頭見かけただけ。俵津ではサツマヒメカマキリを探す予定であったがどうも見当たらない。夜の灯りに飛来することを期待してみたが、これも収穫なしであった。
新開 孝

アカスジキンカメムシ 2003/08/30
近くの空掘川沿いの植え込みにコブシが数本あり、ここでは毎年アカスジキンカメムシが繁殖している。隣にはアメリカハナミズキもあってこちらにも産卵するが、コブシの方が好まれるようだ。ハナミズキではむしろオオミズアオの大きな幼虫を見ることが多く、この蛾は野生のミズキにもよく産卵していく。アカスジキンカメムシの幼虫は4令と5令が混じって集団を作っていた(写真)。この数からすると皆、兄弟であろう。梢を丹念に見て行くと、コブシの実にたかっている幼虫はさらに数多く見つかり、一本の木に100頭前後は確実にいそうであった。幼虫たちは気温が下がった日や、夜には集団を作って休んでいるが、このときには異兄弟も一緒になって肩を寄せ合っていることが多い。またそこに成虫が加わることも珍しくない。アカスジキンカメムシは本来、山野で生活していたのであるが、街路樹や公園の植え込みといった人がいじくった空間にも居着いているわけである。農薬をむやみに散布せず適度な人力の手入れを施して管理すれば、植物環境が豊かな生態系を伴ったまま維持できる見本のような気もする。新開 孝
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