|  | | | マンション裏草地で営巣中のコアシナガバチ女王は今のところ4匹いる。いずれもアブラナの茎に巣を構えている。昨日も書いたようにそのうち一番最後に巣を作り始めた女王バチは今日も一日、姿を見せないでいる。他の3匹は巣を下から抱えるようにした姿勢でじっと静止したままである。 昨日も今日も気温が低かったことと、今日は午後から小雨が降り始めたことで、コアシナガバチ女王たちは活動休止状態が続いている。じっと我慢というよりか、寒くて動けないのであろう。おそらく新陳代謝もうんと低下していると思う。もちろん昨日から食事もしていないはずだ。私が近寄ってもほとんど微動だにしない。
『雨の日の閑話/モズの想い出』
!注意!食事がこれからの方は読まないように。
先月、松山に帰省したのは子供二人を連れてのこと。 早朝6時過ぎ、予約していたタクシーに乗り込んだ時点で二人は睡眠不足もあってぐったりしている。嫌な予感もしたが通勤ラッシュの中、所沢駅から特急レッドアロ−号に乗車。しばらくしてその予感は的中した。膝の上に座らせていた下の子の様子が変なのだ。私がすかさず航空機内用の「吐き袋」を口にあてがってやると、途端に嘔吐した。様子が変という兆しは口では説明しようのない微妙なもので自分ながら感心する。 そもそも下の4歳の子供は今まで乗り物酔いの経験が無いのでなおさらである。しばらくすると今度は隣に座っている上の子(今年から小学3年生)が吐いた。さすがにお兄ちゃん、自分で「吐き袋」を持って嘔吐してくれた。どうもタクシーの中から気分は悪かったようだ。確かにタクシーの運転は少々粗暴で乗客への思いやりが感じられなかった。なんとか羽田空港まで平穏無事に到着したい。そう願いつつ下の子の表情から目が離せない。「吐きたくなったら父やんに言ってね」という言葉もむなしい。本人にとって辛い気分を冷静に捉えて、自分の症状を口で言い現わすことなど無理な注文のようである。4歳上のお兄ちゃんが一年前までそうだったのだから当然だろう。 山の手線に乗り換えるとラッシュの時間帯ながらなんとか座ることができたのは幸いであった。隣には二十歳前後と思われるお兄様が大股広げてふんぞり返って二人分の席を占め、なおかつ回りに気を遣う気配は微塵も無い。「吐くならこのふんぞりお兄の膝にでもぶちまけてやりなさい!」とは思わないまでも、いじわるな気持ちが少しは湧いてくる。 さて東京駅近くの車内でまた下の子が吐いた。これも何の予兆も無し。よくぞキャッチできたものだ、と安堵するも束の間、浜松町のプラットフォームに降り立ったとたん上の子が「吐きそう」と申告!「吐き袋」は大活躍!持って来て良かった!通勤サラリーマンの視線を浴びつつモノレール乗り場へよろけるようにして親子三人は辿り着く。モノレール車中ではまたもや下の子が吐く。兄弟して順番交替に吐く。ここまで来るともう吐くものもないだろう!?だがそう思うのはまだ早かった。 さすがに空港の待ち合い席では二人ともぐったりで、朝食は私一人が立ち喰いうどんを食べた。ここでも「讃岐味」などと銘打っているが、東京は東京の出汁味でいいのではないか、そう思いつつも子供が気になってそそくさと食べ終わる。子供の好きな昆布おにぎりと鮭おにぎりも一応買っておくが無駄のようだ。さて松山行きの機内に搭乗して下の子は少し元気になった。おしゃべりもするようになった。お茶が欲しいというので飲ませてやる。お兄ちゃんは首を90度に曲げてぐったり寝てしまった。1時間ちょっとのフライトで四国上空となったころ機体がけっこう上下に揺れる。そこで待ってましたとばかり下の子が唐突に吐いた。今度はキャッチならず掛けていた毛布を汚してしまう。その気配にむくりとお兄ちゃんが起きて、これまた自分で「吐き袋」に激しく嘔吐する。おお、もう「吐き袋」も全て使い切ったぞなもし! だがようやく松山空港でレンタカーに乗り込んで、ここで私もやっと安心する。が、まだまだ甘いのだ!嘔吐物は酸っぱい臭いをプンプンまき散らしておるが。ここに来て私は車を運転するのであるから、もう子供の世話はできぬ。声を掛けるだけだ。後部座席の兄弟は自分達で助け合うしかないではないか。しばらく走行すると、なんとお兄ちゃんがビニル袋に吐いている。「もう何回吐いたかなあ?記録もんやなあ!」などと冗談っぽく言いたくもなる。と、さらにやがて下の子が何の前触れもなくふんぞり返ったまま黄色い胃液とお茶の混じったものを垂れ流すように吐いた。お兄ちゃんは私の甲高い声で言われた通りハンカチで拭いてやってくれるが、もう後の祭りだ。「ちゃんと袋持って吐けよ!」とお兄ちゃんは怒りながらごしごし弟の胸元を拭いているが、とっくに手遅れだ。手渡していたビニル袋は座席下にころがっている。車内はもの凄い空気に淀んで慌てて窓を開ける。 私はきちんと「吐き袋」を使えるようになったお兄ちゃんの成長ぶりを認めざるを得なかった。と同時に下の子が早くも乗り物酔いするようになったことは少しショックだった。やはり弟の成長はお兄ちゃんよりかなり早い。
で、今回その弟の嘔吐の兆候をなんとか掴もうとした私の緊張感は、12年も前に体験した「モズの撮影」時の緊張感とダブって見えたのである。ふと想い起したのはブラインドの中で撮影待機していた自分と数メートル先のモズの姿であった。 モズはよく知られているように不消化物をペリットという固形物にして吐き出す習性がある。その瞬間を撮影しようと毎日モズに張り付いていたのだ。ニコンの超望遠レンズ600ミリにボディはニコンF3。モータドライブは高速連写モードにして指をレリーズボタンに置いたままファインダーを睨んでいる。今ではいかにもクラシックな撮影スタイルとなってしまった。まあそんなことはどうでも良い。ペリット吐き出しの素振り、兆候を適確に掴むことが一番大事なのだが、とにかくねらった場所でいつやるかはまったく油断ができぬ。ブラインドの中で辛抱強く待つ間、集中力を維持するのはけっこうたいへんだが、当時33歳という若さは今思えばうらやましい程体力に余裕があった。よ、なあ、、、、。 子供の表情を読むのは日頃接していても、とくに嘔吐の前兆を掴むなどは難しいことを知った。ある程度そろそろかな、とは判断できても言わばシャッターを切る瞬間の頃合は微妙なんである。そうモズのペリット吐き出しも3回ほど撮影して終了したが、うんこれか!?という表情を掴むまで、それこそ吐きたくなるような緊張感と疲労があったことを今、懐かしく想い出す。
 | |