阿蘇のクロシジミ

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アリの巣のなかで幼虫が育つという、その奇異な生態でよく知られているのが、
クロシジミだ。和名はなんともそっけないけれど。

私の郷里、愛媛県では成虫の古い採集記録はあるものの、近年はほぼ絶滅状態にあると言ってもいいだろう。だから学生時代のころから、クロシジミは幻のチョウであり、
憧れのチョウに過ぎなかった。

これまでもクロシジミについてはときおり気に掛けつつも、なんとしても撮影しようとは考えたことがなかった。
もしも身近な環境にクロシジミがいたなら話は別だが。
もっとも、武蔵野台地で、私が20年間住んだ、東京都清瀬市にも、
かつてはクロシジミがいたらしい。
日本での生態解明の発祥の地は、まさに武蔵野の雑木林だった。

しかし、いったいなぜ、クロシジミは各地で次々と消えてしまったのか。
その原因を考察してみれば、自然と人間社会との関わり方も、よく見えてくるに違いない。

さて、クロシジミとはもう一生縁がないかのように思っていた。
クロシジミを追い求めるよりか、私には他にやるべきことがたくさんあったからにも他ならない。

ところがまったく偶然にも、九州の阿蘇で初めてクロシジミに出会うことができた。
2005年の7月のことである。

P7222665.jpg阿蘇山の外輪山の一角。延々と牧草地が広がる風景は、どこかよその国という感じがする。
7月の猛暑のなか、ダイコクコガネを探し求めて歩いた。写真のお二人は同行者。



小学館のNEO図鑑シリーズの『カブトムシ・クワガタムシ』の製作に携わったということは、
以前に「昆虫ある記」でも書いたことがある。

私が担当したのは、全頁の標本撮影と、そして何種類かの生態写真の撮りおろしであった。
なかでもダイコクコガネの生態写真を撮るべし!という課題はもっとも難しく、またそのぶんやりがいのある仕事でもあった。

さて、そのダイコクコガネを撮影すべく、もっとも確実な産地である阿蘇山に通うことになった。
広大な草原を真夏に歩くというのは、たいへんシンドイ作業であったが、
それなりの成果を上げることができた。

とはいっても、すべてがとんとん拍子にうまく事が運んだわけではない。
ああでもない、こうでもないなあ、と、宿に戻っては同行の編集者さんと話し合ったり、
虫屋さんに相談したり。その生態の仔細がなかなか見えてこないうちは、
まさに暗中模索の日々であった。

そんなある日。
スコップを持ち、長靴姿で牧場の柵内に入った。もちろん許可を得ている牧場である。

今日はどのコースにしようかと牛たちの間をすり抜け、まばらにススキが生えている場所を
通りかかったときだ。

クロシジミが目の前のススキの葉上にいたのである。
その姿は、まるで私を待ち受けていたかのように思われ、感激もひとしおだった。
標本では知っていても、なんとでっかいシジミチョウだろうか!と驚いた。

「おおっ!!クロシジミが、いたあ~!」

P7222192.jpg同行のお二人はしかし、このいかにも地味なシジミチョウに感激する私に同調する気配もなく、
どこか醒めた視線を投げかけただけのように思えた。
まあ、そうかもしれんな。「黒シジミ」なんて和名もあっさりし過ぎているからな。

クロシジミの佇んでいたススキの株周辺を見渡してみると、

P7222152.jpg
アブラムシを訪れているクロオオアリのすぐ傍らに、点々とクロシジミの卵が産み付けられていた。
クロオオアリが嫌でも気付くであろう場所を、ちゃんと選び抜いて産卵しているように見受ける。

ふ化したクロシジミの幼虫は2令期までアブラムシやキジラミの出す分泌液を餌として成長し、
2令の後期になってからクロオオアリによって、アリの巣内へと運び込まれる。

そこで私は、9月になってから再び同じ場所を訪れ、クロオオアリの巣を掘り起こしてみた。
だが、しかし、残念ながらクロシジミの幼虫を見つけることは叶わなかった。

阿蘇山に通ったことと、それ以前に大分県のフィールド巡りをした経験は、
私が九州の地へ引越しを決意する上で、たいへん大きな後押しとなった。

もう迷うことはない、九州こそが自分の人生の後半をしめくくるにふさわしい場所だ。
かつてから描いていた宮崎県への移住計画を実行する決意を
嫁さんに打ち明けたのも、このクロシジミとの出会いの直後あたりだった。







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