「カッコいいねえ!かぶとむし」今朝は午前9時から、地区の盆まつりの準備作業に加わった。
宮崎に来てから盆まつりも3回目を迎える。
近所の方が早口で喋りかけてくれるが、私にはその半分も聞き取れないので、
まるで外国にいるような気分はまだ少し残っている。
それでも、ほとんどの方が顔見知りとなり、苗字もかなり覚えた。
ただ、性は同じ人が多く、五郎さんとか稔さんとか、名前で覚えないと
いけない。下手に大声で呼びかけると、何人もの方が振り向くことになる。
大気が不安定のようだから、夜になってからの雨が心配だ。
さて、昼食時にテレビを観ていたら、
ある企業が、カブトムシ、クワガタムシを子供にプレゼントする様子が流れていた。
150人もの行列が出来たそうだ。夏休みの特別サービス?のつもりだろうか。
子供はカブトムシやクワガタムシを「欲しい!!」と思うのだから、
これだけの行列が出来るのも当然だろう。子供心をストレートに掴む企画ではある。
まずそこが大問題なのだが。
カブトムシもクワガタムシもカッコいい。
多くの子供たちの憧れの対象となり、いや大人でさえ夢中になる。
欲しい、という物欲が昆虫採集の原動力にもなる。
だからこそ、カブトムシもクワガタムシも自分の努力で採るべきだ、と私は思う。
もらってもいいではないか、それが一つのきっかけになれば、、、という考え方もある。
私はしかし前にも書いたことがあるが、若いころは昆虫採集に自分なりの誇りを抱
いていた時期があり、人から譲り受けることをかたくなに拒んでいた。
自らの手で苦労して採集するからこそ、それが最大の喜びになるのであり、
あっさりもらったりしたのでは、何の意味があろうかと。
憧れの昆虫に出会うまでの様々な過程こそが大事であり、それこそが虫と付き合う
上での面白さであろうと、と私は固く信じていたからに他ならない。
どうもこのごろの世の中、結果を早く簡単に手に入れたがる傾向があるのではないか。
こうした昆虫採集の思想的なことに関わることとして、もう一つ見落としてはいけない
ことがある。
150人の子供に公平に虫をプレゼントするとなると、クワガタムシ、カブトムシの
数は少なくとも人数の倍近い300匹あまりを用意する必要があったのではないか、
と想像する。それだけの数をどこから調達してきたか、ということだ。
カブトムシは養殖業者もいるので、それくらいの数を揃えるのは苦でもないだろう。
クワガタムシはどうだろうか?これも養殖業者があるか。
もしかしたら養殖業者からではなく、どこかの業者に採集を委託した可能性もある。
300匹くらい、そうたいへんでもない数と思える。というのも、、、、。
この夏の始め頃、私はあるおじいさんに山で出会った。
話をしてみると、毎年、クワガタムシ、カブトムシを300匹ほど野外で採集し、
それを県外の孫などあちこちに宅配便で届けるのだという。
「宅配便でさ、その送り賃だけでも何千円するね。虫を買ったほうが安いかもな。」
その爺さんの話を、私は少々、複雑な気持ちで聞いていた。
まず、一つに思ったことは、まあなんというお節介なことだろうか、ということだ。
欲しがる子供に喜びを与えたいという気持ちはわかるが、それは結局、自己満足
ではないか。
お爺さんのようにクワガタムシ、カブトムシの採集ポイントを熟知した方なら
できれば子供たちをそこへ連れて行ってほしい。そこで自らの目と手で、
カブトムシのいる現場を子供たちに体験させて欲しいものだ、と思った。
300匹、例年採れるんだよ、という環境があることを孫達に伝えることには意義がある
かもしれないが、もらって満足するだけではあまりにも寂しいではないか。
さてさて、企業が庶民へのサービスとして、
今回のような催しをするのを見て、こういう企画はあちこちでけっこう流行っているのだろう
と思う。
すると、やはり大量の虫の入手先というと、どうしても採集を請け負う業者の存在が
気になる。
人が採集したくらいで虫は減らない。その考え方に私もほぼ異論はない。
業者をただちに敵視するつもりはない。
ただ、問題なのは採集のやり方なのだ。数多く短期間で効率良く採集するとなると、
必ず無茶苦茶なやり方をする輩が出てくるのである。これは私も散々、目撃しており
他の虫屋の方々の憤りも買うような、手段選ばずのやり方なのだ。
私もときには朽木を崩したり、荒っぽい虫の探し方をすることはあるが、
それでも現場の状況がいづれ復興するだけの余裕を見込んでのことである。
それと私が探すような虫は、世間ではほとんど振り向いてくれない、
、マイナーな種類がほとんどだ。虫屋ですら素通りするような、、、。
少し話しを整理しよう。
企業が自らの世間体を良くしたい思惑で(想像だが、そうに決まっているだろう)
子供たちへ子供の喜ぶカブトムシとクワガタムシをプレゼントする。
そしてまたその様子を何のためらいもなくテレビ局が取材し、お茶の間に映像を流す。
子供の喜ぶ声、笑顔、、、、、。
このほほえましい光景に賛同する視聴者の方も多いことだろう。
企業の思惑通り、
世の中の庶民に喜びを与えてくれる善良な企業というイメージを確立できる。
ま、それほどに世の中の人々も単純ではないと思うが、そういう受け取り方をする人も
少なくは無いだろう。
もっとも今回の報道の深部を自分の目で取材したわけでもなく、
大量に仕入れた虫の出所も確認しているわけではないから、企業の名も伏せておくし、
強いて糾弾しようという気持ちがあるわけではない。
繰り返し言いたいこととは、
虫を配るのは、傍目で見ていて滑稽に感じるということと、
この催しのためにもし奔走した採集業者がいるとすれば、どういう採集方法をとっているか、
きちんと検証しておくべき、ということと、
大人が無感動に虫をかき集めることなど止めて、
できれば子供たちの父親、母親にたいして、昆虫採集の喜びを子供たちに体験させて
やりませんか、という企画なり行事をやってもらいたいものである、ということである。
子供達が野外の自然環境を見る目を養うためにも、彼らを大人たちが一緒になって外へ
連れ出すべきだと、そう願うのである。
ま、それもお節介かもしれないが、一緒に大人が楽しむということが肝心なのである。
虫遊びは子供の時期で卒業よ、と思っている貴方。それは大間違いなのだ。
そういう感覚麻痺を起こしている限り、自然保護だの、温暖化阻止だの、つまらない
流行語に踊らされてしまうだけである。
ここまで書いて、ちと大事になりそうなので、そろそろ止めておく。
一冊の本でも書けそうなテーマだし、だからといってそういう本を書くほどの、
思考力は私にはない。
最後に言うべきこととして、
昆虫写真家として昆虫の本を世の中に出し、そしてそのことによって
子供たちの虫への憧れの気持ちなどをさんざん煽っておきながら、
写真家が上記のような偉そうなこと書くなよ、と言われれば、それも当たらずとも遠からず。
子供の気持ちを高めておいて、そのフォローはしないのか、と問われれば、
さて、例えば私以外の昆虫写真家の方達は、どうお答えになるだろうか?
じつは、何年か前に私の著書の読者の父親の方から、それに近いことを言われたことがある
のである。そのとき、私は直接の言葉だっただけに、かなり考えさせられた。
私ならどう答えるかと言えば、簡単だがこうだ。
体一つでなかなか実効力は薄いが、ともかく自然観察会には積極的に講師として出る、
ということと、本のなかで語り足りない面を、講演で補足する、ということである。
それとこれまでの私の著書を見ていただけたらわかることだが、
私が主張してきたことは、昆虫の世界は多様であって、人気のあるカブトムシや
クワガタムシなどから少し目線を逸らして、いろんな虫にもそれぞれに魅力があるはず
ということを紹介してきたつもりだ。聞いたことも見たことも少ない地味な虫たち。
そんな虫たちのほうが、身近には余程数多くいる。
ほとんど出版界から需要がない、いわば隙間の昆虫たち、そんな日陰の世界を
できるだけ取り上げてきたつもりだ。
私が単にひねくれているせいでもあろうが、そういうひねくれ者もときにはいたほうが
良いのではないか、と思う。
そうでないと、昆虫写真家と言えども、皆がお金になる虫ばかりを追いかけてしまうようになる。
編集者や出版社の欲しがる昆虫写真ばかりが出回り、それはほんとうにつまらない、
ことになると、私などは考える。
こんな私だから、出版社のとくに営業の方々からは不人気であるらしい。
とはいえ、私も昆虫写真家の端くれとして、カブトムシ、クワガタムシなどの人気昆虫を
撮影せよ、という注文をいただくと、これを蹴ったりはしない。教科書の仕事も受けてきた。
やはり稼ぐことも大事だからだ。でもその一方で、日陰の昆虫たちにも明るい舞台に
立たせてやりたいのである。これもおそろしくお節介なことだろう。
虫にしてみれば、そっとしておいて欲しかったのに余計なことをして、
などと恨まれるかもしれない。
