21年前のフィールドノート

| | トラックバック(0)
チョウセンカマキリの卵しょうを探し歩いたあと、仕事部屋の外壁にキノカワガがいることに気付いた。
キノカワガP2160025.jpg東向きの外壁には外灯も設置してあり、夜の虫もいろいろ飛来する。蛍光灯の色温度を替えようと準備はしたのだが、交換作業が煩雑でほったらかしのままだ。今一つ、虫の集まりは良くない。とはいえ、シンジュサン、ヤママユ、クスサン、イボタガ、アゲハモドキ、ミヤマカラスアゲハ♀、、、、など嬉しい顔ぶれが来てはいるのだ。一方、この8年間期待を抱き続けてきた、カマキリモドキ類の姿は全くない。いるはずなんだが、なぜ来ないのか?
ふと、机上の隅にあった管ビンを眺めているうちに、21年前の自分を思い出していた。さっそくその当時のフィールドノートも開いてみた。

カマキリモドキP2160005.jpgアルコール漬けにしたオーイクビカマキリモドキは、石垣島で初めて出会った個体である。
色はかなり褪せてしまったが、体つきなど雰囲気は当時を思い起こすには十分なほど新鮮である。
カマキリモドキP2160010.jpg※追記:和名「ヒメヤツボシハンミョウ」を誤って「ヒメツヤボシハンミョウ」としている。
「トンボ(4)」というのは、現地で種名を確認できていなかった。

1994年5月25日のノートには、「石垣島(最終日)」と書かれてある。その最終日にようやくして、目的のオーイクビカマキリモドキに出会えたのであったが、発見時の興奮した文章がこの頁の最後のほうに記されてある。字が汚いのでここでは割愛するけれど。
石垣島には22日の午後から入っているが、滞在中、天候は不安定で雨もしばしば降っていた。蒸し暑かったのが特に印象に強く残っている。泊まった民宿は「なぎさ荘」だったが、何度か泊まったこの民宿はそのときが最後になった。この宿には蝶屋さんの宿泊客が多かったが、同宿した虫屋さんとお話をしたのは一度だけだった。そのとき携帯展翅板を見せてもらい「シジミチョウ類だけは滞在中に展翅して持ち帰るようにしています。このまま空港で手荷物に預けても大丈夫ですよ。」と教えてもらいびっくりした。逆に私がカマキリモドキの撮影で渡島したことを告げても、まったく相手の反応は無かった。

1994年、つまり21年前だから、私は当時、35歳。その翌年、長男が産まれている。
カマキリモドキに憑かれて観察・飼育実験などを盛んにやっていた頃で、あげくに石垣島まで行ったりした。昆虫写真家の仕事としては、まったくお金にならないことへとのめり込んでいた。まさに情熱に溢れていたとは思うが、仕事として稼げる計算はまったくできてなかった。それが仕事か?と問いつめられていたら、私はどう答えていただろうか。「わしは日本で初めてのカマキリモドキの本を作るのです!」と言ったかもしれないけど、それが売れるかどうかは、考えもしなかったはずだ。
他人がやろうとしないこと、それが仕事になるかどうか考えてみたところで答えなどはない。
ともかくは、自分がやりたいことを素直に実行するしかない、と腹をくくった、というか、ほとんど本能的に動いていた。ま、通常なら子供を抱えた嫁さんから、見放されてもおかしくない状況でもあったが、運良くそうはならなかった。
« ヒラタクワガタとフキノトウ       ゴミムシダマシという虫 »