背広とネクタイ

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夕方の犬の散歩は午後5時半過ぎ。鱗雲が夕日に赤く染まった。

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私が背広姿でネクタイをしめるのは冠婚葬祭のときのみで、

だからネクタイは白と黒しか持っていない。 先日、親戚の結婚式で久しぶりに

背広を着た。

将来、どんな職業に就くか迷っていた頃、ネクタイをしめなくてもいい

業種を絶対条件と決めていた。営業とか公務員などは、問題外だったわけだ。

首を締め付けるネクタイには、自虐的なイメージしかなかった。

一方で私は、職人に憧れていた。どんな職人かは決めてなかったが、

仕事場で一人、コツコツと作業をするのが合っていると思えた。

それはおそらく、私の父親が職人であり、父親の背中を見て育ったから

ではないか、と思うことがある。いや、たぶんそうだろう。

母親には申し訳ないが、子供の頃、私は父親に可愛がられ、父親のことが

大好きだった。母親はどちらかといえば、恐かった。

これは世間一般的には、逆なのかもしれないが、私の父親は私が病気で

寝込んだりするとつきっきりで看病をしてくれた想い出が強く印象に残っている。

だから、たまに父親に叱られると、猛烈に哀しかった。哀しくて泣いた。

しかし、不思議なことに、親に対しての思いはやがて逆転した。

大学受験を控えた高校生の頃、父親のことが鬱陶しくなった。それは、

父親がしきりと「公務員になるのがいい。」ということをくどいほど

言い続けたからだ。堅実な生き方は公務員だ、と決めつける

父親を尊敬できなくなった。私が何を望んでいるか、ということに

耳を傾けようとはしなかった。

一方で母親は、高校入学以降、ガラリと変貌し、自分の仕事に夢中となり、

私の学業とか進学希望とかには、まるで関心を示さなくなった。

それ以前は、いわゆる教育ママ的なところが、あんまり好きではなかった。

成績が落ちるともの凄く恐い顔をして怒った。

忙しくしている母親は変貌したが、それでも、毎日、

弁当だけはちゃんと作ってくれた。

なぜか私と距離をおくようになった母親。

父親はそれと反比例して、口うるさくなった。それはなぜか?

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台風18号の強風で、クヌギの梢から落下していたヤママユの繭。

羽化はもうじきかと思うが、こんなふうにして落下する繭もある。地面で羽化すると

さらに危険が増すことだろう。

松山の実家の洋服ダンスを開くと、背広が何着も掛かっている。

どれも父親が仕立てた背広だ。父親は紳士服仕立て職人だった。

仕事以外に、自分用にと背広をこれほど仕立てていたとは意外だった。

どの背広にも、「新開」と刺繍ネームが入っている。

私が袖を通すと、これが気持ち悪い程、ピッタリと納まる。


子供にとって、父親とはなんだろう?と、自分に子供ができて、逆の立場からも

考えるようになった。当たり前だが。









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